プロフィール
シオ
シオ
本名 塩﨑宏晃。
1971年生まれ かに座 B型。
中学の頃は建築家になることを夢見ましたが、次第に法律関係の仕事で独立開業を志すようになり、8年間の修行時代を経て31才で行政書士事務所登録しました。
現在は、建設土木、廃棄物処理にたずさわる法人のお客様を中心に、行政手続代行やコンプライアンス、事業継続・承継のお手伝いをさせていただいてます。

行政書士塩﨑事務所 
浜松市東区天龍川町536-2
℡053-545-9171
行政書士事務所ナビ
QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 1人
オーナーへメッセージ

2011年09月30日

浜名湖の津波と姫街道

おはようございます。

今朝は、浜松市役所のメールマガジンに掲載されてた
浜名湖周辺における津波の被害についての記事を
ご紹介させてもらいます。

こんなに身近な所でも、巨大津波の被害をうけていて
それが東海道と姫街道の歴史にも大きな影響を与えて
いるということが感じ取れました。

防災の専門家の方達が口を揃えて訴えることの
ひとつが「過去の教訓を絶やすな」ということです。

------------------------------------------------------------------------

■地震津波と本坂道

 浜松市博物館の分館、姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館
(北区細江町)には、内山富寿翁が描いた「安政地震の
津波の絵図」が展示されています。

 都田川河口付近を襲った津波と、津波が退いた後に
残された泥田の様子が2枚の絵図に表されています。

津波は、引佐細江(奥浜名湖の入江)湖岸の村を
のみ込みながら、山裾を通る本坂通のあたりまで
押し寄せたことが分かります。

 浜名湖周辺では、歴史的な大震災の記録が
いくつか残されています。

 明応7年(1498年)8月25日に起きた明応地震
では、浜名湖が遠州灘とつながり今切口ができました。

 宝永4年(1707年)10月4日に起きた宝永地震
では、新居関所と今切の渡船場が津波で流され、
東海道の通行ができなくなりました。

本坂通の宿駅では、突然の旅人の増加の対応に
困窮する事態となりました。

 安政元年(1854年)11月4日に起きた安政東海
地震による津波は、浜名湖一円の町や村を襲い被害を
もたらしました。

渡辺平八郎が描いた「津波に襲われた舞阪宿」の図に
よれば、雁木(がんぎ)の渡船場は10メートルほど
の波に襲われ、町の中にも押し寄せて来たと言うことです。

 こうした災害の記憶は、「今切口変遷図」という形に
まとめられ、今に伝えられています。

 なお、宝永地震以後増加した本坂通の旅人は、
その後も減ることはなかったようで、明和元年(1764年)、
幕府はやむなく本坂通を道中奉行管轄としました。
東海道に対して、浜名湖を挟んで山手の道として、本坂通は
脚光を浴びたのです。
-------------------------------------------------------------------------
上記の文章は、下記のメールマガジンから
転載させてもらいました。
-------------------------------------------------------------------------
☆ HAMAMATSU CITY E-Mail Magazine ☆

         浜松市メールマガジン【9月30日号】
               2011.9.30
        毎月10・20・末日発行  通巻  第439号
-------------------------------------------------------------------------


よろしかったら、こちらもご覧下さい(^_^)v

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
削除
浜名湖の津波と姫街道
    コメント(0)